野田城
野田城は永正13年(1516年)から天正18年(1590年)に城主の移封に伴って廃城となるまでの75年間に亘って存続したとされている。
築城者は、奥三河地域で勢力を張った三河菅沼氏一族の菅沼定則で、はじめ今川方に属していた。定則は、南東方面に約1km離れた場所にあった館に居住していたが、たびたび水害を被るので、永正5年(1508年)にこの地に築城の計画を開始したとされる。しかし、吉田城や長篠城の築城時期と同じ頃であるため、東三河地域での今川氏の影響下で築城された可能性も考えられる。
城主は、大永6年(1526年)から永禄3年(1560年)に今川義元が桶狭間で戦死するまで遠州と西三河地域の狭間でその帰属先を転々としたが、義元の死後は徳川方となっている。
その後野田城は戦地となり、元亀4年(1573年)までの12年間に今川氏や武田氏からたびたび攻撃を受けている。永禄4年(1561年)には今川氏真によって落城し、元亀2年(1571年)の武田軍の攻撃の際には、城に火を放って城を開けたとされる。元亀4年(1573年)の「野田の戦い」では、武田軍と籠城戦を強いられている。
| 地域 | 東三河 |
|---|---|
| 所在地 | 新城市豊島字本城 |
| 電話番号 | 0536-22-0673 |
