吉岡城址
吉岡城は、南の沢川、牛ヶ爪川の渓谷に挟まれた吉岡の台地上にあって、周囲は深い谷と急崖が取り巻く天然の要害を利用した城で、戦国時代の初め文明7年(1475)、下條氏初代康氏により築城され、領地と勢力拡充により伊那谷では最有力な国人領主として発展した。
戦国動乱の時代を迎えると武田信玄支配から織田信長、そして徳川家康に従い、下條氏は勢力を維持したが、家康の重臣石川数正の家康離反に伴い、1587年七代下條牛千代が改易に処せられ、下條家は没落した。その後も吉岡城は飯田城の支城として、江戸時代の元和年間まで遺るが、幕府領支配の拠点として代官所が置かれ、本城は取り壊される。しかし、城下町は周辺地域の生活基盤として幕府の指示で温存され、室町時代の城郭と城下町の構造を今に伝え遺す。
現在、主郭部が吉岡城趾公園となっています。
地域 | 南信州 |
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所在地 | 下條村陽皐7035 |
電話番号 | 0260-27-1050 |